むすめが不登校になった話①

育児のこと

うちの娘は小学3年生

幼児期からひょうきんだけど人見知り、マイペースでちょっと変わり者で個性的な人間だとは認識していた

それでも保育園は朝7時半〜19時過ぎまでほぼ毎日元気に登園して、小学校に上がってからもそんな感じ

たまに友達とのやりとりで落ち込んだりはしてたけど、それも世界の広がりだよね…と見守ってきたつもり

それが突然、『行けなくなった』

今回はそんな話

(長いし現在進行形なんで、シリーズ化します)

SOS

夜勤入りのある朝、娘が『気持ち悪い』と言い出した

その頃はほぼ夜勤専従な先輩が病気療養中で全てのシフトがギリギリで回ってた。普段は月1の夜勤も2回・3回と増えていた時期

わたしが急に休んだら、夜勤の代わりはいない。

『気持ち悪いけど、吐いてるわけではない』という状態の娘と『代わりのいないだろう夜勤』を天秤にかけてわたしは仕事を選んだ

学校行ってみて、ダメだったら仕事をやすむしかないか…という考えで

案の定、ものの2時間程度で呼び出しがかかりお迎えに。夜勤もお休みにした。

保健室に迎えに行くと真っ青な顔で

「お仕事、お休みになっちゃったよね。ごめんなさい」と謝る娘

そこでやっと自分の過ちに気づいた

先輩の病気療養で夜勤が増えていることは理由として娘には説明していた

感受性が高くて優しい娘なら、その理由を飲み込んでくれるとわかっていたからだ

毎回夜勤入りの時に行かないでと泣いているのを見ていたのに、なぜわたしは娘の心を優先しなかったんだろうか

さみしい、さみしいと全力で訴えていたのに

今思えば、あれは娘からの限界SOSサインだった

ただでさえ苦手な『夜に母がいない夜勤』が急に増えている、進級して勉強も難しくなってきて、習い事で土日も何かと忙しい…

休む暇もなく走らされ続けた心が悲鳴を上げて、身体がサインを出したのだ

行き渋りの月曜日

早退から土日に入り、月曜日

やはり朝から気持ち悪いと言い始めた

いわゆる行き渋りだ

『行っちゃえば大丈夫だよ!』との家族の後押しもあって、校門まで送ることに

「行きたくない!」と泣き出す娘

こうなったのは構ってあげなかった、娘を優先にしなかった自分のせいだとごめんね、と泣けてきた私

児童支援の先生になんとか娘を託して仕事に行ったけど、なんかヤバい気がしていた

これじゃダメ感とでも言おうか

自分がとんでもない間違いを犯している感覚が仕事中も抜けなかった

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